共産党躍進の影の主役

選挙は、大方の予想通り、与党が圧勝した。私は、自民党公明党も大嫌いなので、今回の結果については、勿論、残念ではあるのだが、そんな私ですら、今回は正直なところ、与党が勝ってもしょうがないなと思った。何しろ、他に魅力的な選択肢がまるでなかった。私は、安倍晋三氏のことは、全く好きでは無いのであまり認めたくはないが、今回は、彼が非常に上手くやったと言うべきかもしれない。

共産党議席が倍増した。志位和夫委員長は「安倍政権への批判表が集まった」ことを要因に挙げているが、議席が増えた最大の理由は、民主党を中心とする野党の弱体化だろう。結果だけ見れば、共産党は巨大与党の恩恵を受けたわけで、共産党躍進の影の主役は自民党である。逆から見れば、共産党が活発化すれば、左の票が割れて有利になるのは自民党なので、自民党共産党は、お互いに協力しあうインセンティブがある。まさか実際に協力はしていないと思うが……。

個人的に気になったのは、沖縄県で、日本全体と真逆の結果が出たことだ。ネット上では、早速、沖縄の人々に対する攻撃を行っている連中がいるが、言語道断である。本土と沖縄の間で、深い分断のようなものが起きているのではと心配になる。少なくとも、「沖縄県民はサヨク」の一言で、片付けてはいけないのは確かだろう。

日本共産党 (新潮新書)

日本共産党 (新潮新書)




オススメの本 ほんとうの中国の話をしよう

今日紹介するのは、『兄弟』や『活きる』などのベストセラーで知られる、現代中国を代表する作家、余華さんのエッセイ『ほんとうの中国の話をしよう』です。この本は、面白いです。少々高いですが、十分買う価値がありますので、是非とも読んでみてください。本書を読まずして、現代中国を語るなかれ。そう言い切ってもいいくらい、たくさんの示唆に富んだ本です。特に、下らない嫌韓・嫌中本などを買おうとしているあなた。そんな金があるならば、迷うことなくそのお金を、本書の購入に回すべきです。そうすることで、あなたの人生は、確実に良い方向に動くと思います。

何がどう面白いのか?本書で書かれているのは主に、文化大革命から解放経済へと続く激動の時代を生きる著者の経験談です。(「極端な変化の時代を生きる人間」というのは、著者の小説の一貫した主題でもあります)冒頭、天安門事件について触れてますが、基本的に政治的な本ではありません。にもかかわらず、訳者あとがきによると、本書は中国本土で発売禁止になっているようです。一見、過剰反応とも言える措置ですが、私には、中国政府の気持ちがよーく分かります(笑)。権力者にとって、これほど都合の悪い本など、滅多にあるものではありません。本書では一貫して、政治的に中立な立場から書かれていますが、それが逆に、彼らの胸に突き刺さりまるのでしょう。心中、お察しします。

本書には、善人も悪人も、常識人も変人も、賢者も愚者も登場します。多種多様な人々が、劇的に変わる時代の中で、成功と失敗を繰り返します。些細なことをきっかけにして、雲を掴むような出世をしたかと思えば、つまらぬことで足をすくわれ、地面の底まで叩きつけられる。そんな事例が、次々と紹介されます。ユーモアあふれる筆致で描かれるため忘れがちですが、彼らはみな、大真面目です。例えば、より効果的な自己批判の仕方を一家で話し合ったり、文革時代の聖典毛沢東語録』を、ついうっかり便所に落としてしまった青年の悲劇などは、傍らから見ると滑稽ですが、当人たちは、大真面目です。地位や名誉、ときには命までかかっているのだから、当然のことでしょう。

もちろん、悲劇が生まれる一方で、成功者もたくさん誕生します。著者は、文革、解放経済時代をそれぞれ「権力の再分配」「富の再分配」と定義づけています。成功者たちは、ダイナミックな再分配の中で、極端な時代の流れに上手く乗って、過度の分け前に預かることに成功しました。、しかし、過去のいかなる成功も、将来の栄光を約束しません。大きく成り上がるチャンスが大きな社会は、同時に、大きく転落するリスクの大きな社会でもあります。一瞬の急浮上の後、元いた場所まで、時にはそれよりもずっと下まで落下して行った人が、何人も登場します。この呆気なさは、ありきたりな言葉ですが、「世の中のはかなさ」のようなものを、私たちに教えてくれます。

本書の中で特に印象的なのは、文化大革命時代に著者が行った行為についての告白です。著者は、文革真っ盛りの少年時代に仲間とともに、配給された食券を町で売って小金を稼ごうとする農民を摘発して殴打を加え、得意になっていた過去を告白しています。農民の行為自体は、当時の法に照らせば明確な違法行為であり、それを取り締まった著者らの行為は、法の上では正当なものです。にもかかわらず、過去のこの思い出は、忘れることの出来ない痛みとなって、著者を襲っています。著者らの行為は、物の善悪を自分の頭で考えることを放棄し、時代とともに極端に変動する「正義」なるものに盲目的に従って行動したこと来ているという点で、彼らの失敗は、文化大革命という、同時期に大人たちが起こした大失敗の縮小版に過ぎません。

文革という時代は、確かに特殊な時代です。しかし、根拠なき熱狂に流された正義感の爆発という現象自体は、普遍的なものです。インターネット上などにあふれる、一旦敵とみなした人間に対する盲目的かつ執拗なバッシングなどから、自ら考えることを放棄した集団熱狂を感じるのは私だけでしょうか。本書は、現代の日本でこそ広く読まれるべきなのかもしれません。



ほんとうの中国の話をしよう

ほんとうの中国の話をしよう

新聞の、これから

タイトルは、昔NHKで放送していた「日本の、これから」のパクリです。

新聞業界の課題として「年寄りしか新聞を読んでいない」ことがよく挙げられます。しかしこれは、新聞業界の問題点を示す表現としては、間違いとはいえませんが、正確でもないと思います。なぜなら、今後ますます高齢社会化していく我が国においては、高齢者を相手にしていること自体は商売上、決して悪いことではないからです。しかし、現実の新聞業界はどうかというと、もちろん危機に立たされています。販売収入も広告収入も、着実に減少し続けており、回復どころか現状維持すらままなっていません。将来も決してままなることはないでしょう。


新聞の本当の危機は何か?「高齢者しか読まない」のではなく、「特定の世代しか読んでおらず、その世代が高齢者になっている」ことではないでしょうか?例えば、「70歳以上しか読まない媒体」と「1944年より前に生まれた人しか読まない媒体」では、現在(2014年)における読者層は同じですが、将来性はまるで違います。前者には未来がありますが、後者にはありません。後者の経営は、年を追うごとに厳しくなります。20年もすればお終いでしょう。

出版不況と言われる中でも、好調な媒体はあります。『いきいき』や『健康21』などの健康雑誌もその一つです。彼らの商売相手は、間違いなく高齢者です。この点は新聞社も同じですが、残念ながら新聞業界は絶不調です。この違いは何から来るのか。上に書いた、前者と後者の違いではないでしょうか。

健康雑誌には、新規参入者が常にいます。健康な若者でも、年をとって健康が気になるようになれば、新たに読者になる可能性があります。ビジネスモデルとしては、継続的です。翻って新聞はどうか。新聞を読む習慣を持たない若者が、ある日突然、紙の新聞を読み始める。そんなことが、果たしてあるでしょうか?もちろんあるはずありません。ネットと共に生きる若者は、たとえ年月を経て高齢者の仲間入りをしても、残念ながら新聞など読まないでしょう。

新規参入者なき業界に未来はありません。どの程度粘れるかは別にして、潰れるのは時間の問題です。この意味では、巷で言われる「ANYは勝ち組、MSは負け組」といった議論は、ある意味では空しい議論です。(もちろん、現在そこで働く個人にとって重要であることは否定出来ませんが。)

では、新聞が生き残るにはどうすればいいのでしょうか?

新聞社―破綻したビジネスモデル (新潮新書)

新聞社―破綻したビジネスモデル (新潮新書)