広告から見る新聞業界2

若者が新聞に感じる疎外感は、妄想ではない。現実に、新聞という媒体にとって、若年層はお呼びではないのである。読者の圧倒的大多数は高齢者で、紙面も広告も、専ら彼らに向けて作られている。「尿漏れパット」は、その象徴だ。本日(12月30日)付けの北海道新聞に、興味深いデータが書かれていた。2014年に、同新聞の投書欄に寄せられた年代別の人数が載っていたのだが、1番多かったのは70代であった。60代と80代がそれに続く。30、40代の働き盛りはずっと少なく、世の中に訴えたいことが多いはずの若者はさらに低い。「新聞って、オールドメディアなんだな」 帰省先でもそう痛感させられ、憂鬱になった。

もっとも、完全に老人向けのメディアになるならば、それはそれで構わない。超高齢社会では、商売相手が年寄りのみでも上手くやりさえすれば、事業は十分に成り立つ。リタイヤ世代を相手にして、果たしてジャーナリズムの使命が果たせるのかは疑問だが、それはまた別の話だ。新聞社自身、若者の取り込みを口では叫びつつも、高齢者のみをターゲットにしている節がある。本音ベースでは、若者を切り捨てているのだろう。だとすれば、若者が新聞を読もうとするのが、そもそも間違っているのかもしれない。窓際族ではあるまいに、既に捨てられていることも気づかずに、必死でしがみつくのは滑稽だ。(カネまで払って❗️)若者は若者らしくネットでもしていればいい。新聞は、もっと年をとってから。それこそ尿漏れが気になる年齢になってから、読み始めれば良い。「新聞は65歳になってから」とかキャッチフレーズをつくれば面白いかもしれない。


…妄想が過ぎたので修正を図ろう。もちろん、先日のエントリで述べているように、上記の状況は実現出来ない。特定の年齢層(「70歳以上」とか)では無く、特定の世代(「団塊の世代」とか)しか読んでいないのが新聞なのだから、今ネットしかやっていない若者が、歳をとっても新聞を読み始めることは、まずない。かくして新聞はますます、高齢者相手にシフトした紙面作りになっていく。尿漏れパットの次にでてくる広告は、墓石か?格安の葬式会社か?ひょっとすると、あちらの世界の処世術を書いたマニュアル本だろうか?興味は尽きない。

投げやりなエントリになってしまった。本当は、新聞業界が未来に向けて大きく発展していくような内容にしたかったのだが、残念ながら何も思いつかなかった。やはり新聞は、ゆっくりと安楽死するしか無いのかもしれない。