「娯楽差別大国」ニッポン


生活保護の住宅扶助引き下げへ   厚労省が方針 朝日新聞デジタル

厚労省は、生活保護受給者に対する住宅扶助を引き下げる方針を決めたようだ。詳しくは

http://www.asahi.com/sp/articles/ASGDV5GMYGDVUTFL004.html  

を読んでいただきたいが、何とも滅茶苦茶な理屈をもってきたものだ。「現在の住宅扶助の上限でも、劣悪な住宅が存在している」ことが、どうして扶助を引き下げる理由になるのか。そんなことをしたら、もっと劣悪な住宅にしか住めなくなるのは自明ではないか。正直言って、この文章を最初に読んだとき、書いてある内容が信じられなかった。自分が読み間違えているのだろうと思い、何度も文章を読み返した。しかし、間違いではなかった。

このニュースからが正しければ、間違いなく厚労省は狂っている。この役所には「受給者の気持ちに立って考える」という発想は皆無で、彼らにとって国民は、数字合わせのための道具に過ぎないのだろう。このような省庁に命と健康を預けなければいけない国民は、実に不幸である。

それにしても、どうしてこんなデタラメな政策がまかり通るのだろうか。厚労省がおかしいのは事実としても、国民の反応は気に成らないのだろうか❓ここで、不都合な真実がでてくる。彼らの無慈悲な政策は、実はサイレントマジョリティーから支持されているのではないか❓つまり、生活保護受給者に対する不当な仕打ちは、国民全体の娯楽となっているのではないかという疑問が浮かぶ。

差別を娯楽に使っている例としては、在特会などが行っている「ヘイトスピーチ」が知られている。特定の集団を見下し、差別するという点では、生活保護バッシングもヘイトスピーチも変わらない。だが、生活保護バッシングとヘイトスピーチでは、決定的な違いがある。

ヘイトスピーチは、「敷居の高い」差別である。この「娯楽」に参加するためには、道徳的に劣位に立たされるという大きなコストを払わなければならない。このようなコストを負担できるのは、在特会元会長の桜井誠氏のような所謂「無敵の人」位しかいない。多くの人が参加できないという点で、この娯楽には、大きな欠点があるのである。

この「欠点」を克服したのが、生活保護バッシングである。この娯楽は、ヘイトスピーチに比べて、参加への敷居を著しく下げることに成功している。何しろ、いくら差別しても、道徳的に劣位に立つことはない。それどころか、生活保護受給者という「怠け者」に対して、正しい生き方を押し付ける快感も得られるのである。参加しない手はないではないか❗️

関東大震災が起きたとき、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」というデマを信じて朝鮮人を虐殺したのは、ヘイトスピーカーが好んで使う「普通の日本人」であった。彼らは、正義の名の下に虐殺を実行した。

今、生活保護受給者をモンスターに仕立て上げ、敵意を煽るような言論は、インターネット上に溢れている。もしこれが、国民全体の認識となり、彼らが「国民の敵」に認定されたら…

90年前と同じことが起こらない保証は、どこにもないのである。

ネットと愛国 在特会の「闇」を追いかけて (g2book)

ネットと愛国 在特会の「闇」を追いかけて (g2book)