朝日新聞社の面接

朝日新聞の面接を受けたときの話をしよう。この話は、あまり長くならない。一次面接で死んだからだ。試験の手応えは全く無かったので、落ちてもあまり傷つかなかった。同時に、あまりにも惜しくない負け方をしたので、予定していた秋採用の受験は見送った。今考えても、正しい判断だったと思う。

試験は、6人による1時間程度のグループディスカッションと、15分程度の面接の2本立てで実施された。GDのテーマは「オリンピックの東京誘致に賛成か反対か」だった。確か、私は反対の立場から意見を述べたはずだが、具体的に何を喋ったかは、よく覚えていない。ただ、自己採点では、出来は悪くなかった。少なくとも、通過への望みは繋がったと考えて、悪くない気分で面接へと進んだ。

「ええて、失礼ですが、あなたの大学はどちらですか?」ミナミジマさんという面接官が発した第一声では、確かに失礼なものだった。大学?私はしばし考えた。前もって提出した3ページにわたる履歴書は、参考資料として面接官が所持しており、もちろん、そこには大学名が書かれている。履歴書なのだから当然だ。ひょっとしてこの人は、「お前の通う大学などマイナー過ぎて知らんわい」と暗に言ってるのか?もしそうならば、彼はのっけから私に喧嘩を売っていることになる。その場合、面接結果の如何に関わらず、合格の目はまず無いと言っていいだろう。

どうせダメなら、いっそのことキレてやろうか。一瞬、そう考えもしたが、ここまでやって来たのに、それも拙い。私は必死で他の理由を探し、ある仮説をひねり出した。私が捻り出した仮説は以下の通りである。

朝日新聞社は、採用に際して学歴不問を謳っている。実際に不問だとは思えないが、それでも、一応は面接官が先入観をもたないような配慮が成されているのではないか。具体的には、受験者の出身大学は、面接官に伏せた上で行なわれるのではないか。ただ、出身大学を記した履歴書は、面接官の手元にある。そこで私はピンと来た。おそらく、履歴書の出身大学の欄は、事前にバイトか何かに黒塗りさせているのだろう。だが、削っているのは大学欄のみであって、学部のところは残しているのではないか。わたしの属する学部は、かなり特殊な名前であったが為に、悪い意味で目立ってしまったに違いない。

もっとも、目立つこと自体は悪いことではない。仮に、私の履歴書の塗り残し部分に書かれていたのが、例えば「文科1類」などであったら、私は面接官の最初の問いに、自信を持って答えることが出来たかもしれない。だが生憎、私が属しているのは文科1類ではなくて、「都市教養学部」であった。答えたくない。でも、答えねばならない。

私の決死の告白に対するミナミジマ面接官の反応は、「あっなるほどね…いや、都市教養学部ってのが、何なのか気になってさ…」という連れないものだった。私の仮説はどうやら当たっているらしいのは分かったが、面接開始30秒ほどで、同社とのご縁が無くなりつつあるのも分かった。面接はその後10分少々続いたが、私にとっては既に消化試合だった。夕方、試験を終えて会場を後にするとき、ようやく試験の実感が湧いてきた。築地のこのビルにも、恐らく二度と来ることはないのだと思うと、不覚にも涙があふれてきた。

数日後、メールで試験結果を知らされた。予想通り不合格だったが、既に、私の中では終わっていたことだったので、何とも思わなかった。やはり、朝日新聞社を目指す私の戦いは、面接の最初の1分弱で、事実上おわっていたのだ。そして、あの日の夕方、涙とともに感じた予感は、これまでのところ、完全に的中している。

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