ニューイヤー駅伝に思う、マスコミの「演出力」

追記  ニューイヤー駅伝そのものの演出については論じていないので、タイトルはやや羊頭狗肉気味です。すいません。

ここ数年、お正月は駅伝を見て過ごすのが日課となっている。1日に実業団の大会、2・3日に大学生の大会が開かれているので、駅伝を見終えると正月もあらかた終わり、というのを毎年繰り返している。少し勿体ない時間の使い方だが、年に1度の正月だから、まあ、こんなものだろう。

ところで皆様は、ニューイヤー駅伝箱根駅伝、どちらが好きだろうか?視聴率では後者の方がずっと高いが、私は、前者の方が好みだ。レベル自体は社会人の方が明らかに高いのに、学生駅伝が人気なのは、箱根には、育つ楽しみがあるからであろう。実際、箱根で「育った」選手が、ニューイヤーにも登場し、活躍すると大会が盛り上がるのは確かだ。

学生大会の恩恵をプロが受けているという点では、プロ野球と甲子園の関係に似ている。野球界もまた、プロ野球の視聴率低下による地上波放送の消滅傾向に歯止めが掛からないのに対して、高校野球は全試合完全生中継が今でも維持されている。競技レベルを高めることと商業的な成功は必ずしも結びつかないという好例だ。野球界では、数少ない地上波放映日には、視聴率を少しでも上げるために涙ぐましい努力がなされる。彼らの「企業努力」は多くの場合、競技そのものにはあまり興味のない人々に向けられる傾向がある。例えば野球の場合、副音声に野球に詳しい人気アイドルを起用して解説させることで、ミーハーなファンの獲得を目指している。もちろんこの場合「野球に詳しい」というのは、解説に呼ぶためのイクスキューズであり、真の目的は人気アイドルの声にあることはいうまでも無い。

さて、こうした施策は多くの場合、コアなファンには不評である。確かに、ボクシングの某一家のように、競技そのものを愚弄し価値を貶めるようなのは論外である(この場合、某一家よりもTBSの方が責任が大きいだろう)が、そうではなくあくまでも競技を盛り上げようとする「演出」の範囲にとどまる限り、大目に見ても良いのでは無いか。企業努力は多くの場合、徒労に終わるが、少しでも結果が出ればその分だけ、熱心なファンも競技を楽しむことができるからだ。