広告から見る新聞業界

概要

現在、日本で発行されている(スポーツ紙や夕刊紙を除く)新聞の大部分は、自らをクオリティーペーパーと名乗っています。特に全国紙は(産経を含めた❗️)全ての会社が、自らを高級紙と自称して憚らず、見上げたことに、しばしば紙面の中でそのような趣旨の宣言を行っています。彼らの自己評価が正しいかどうかは、読者の判断に委ねます。今回のエントリは「こと広告に限って言えば」クオリティを名乗れるレベルには無いんじゃないのか、という趣旨の話です。

以下本文

元新聞記者らしく(?)朝は必ず新聞を読む。テレビ欄をザッと見て、一面をチェックし、めぼしいニュースがなければ次のページへ。紙面を捲るたび、寝不足気味のぼけた頭には何よりもまず、広告の写真が飛び込んでくる。画は活字よりも強い。自分を含めた活字関係者にとっては、不都合な真実。なるべく知りたくはない現実を、毎朝、こうして確実に知らされる。些か気が滅入るが、現状認識は最も大切なことだから、それ自体は悪いことではない。

問題はその中身だ。以下は、そんな紙面によく登場する広告である。 禁煙パイポに尿漏れパット、ニオイ消臭ノンノ……。もちろん、これらの業者が悪いわけではない。彼らは誠実にビジネスをやっている。新聞の広告局もそれは同じで、彼らもまた、必死に努力して上の広告を集めているだけだ。広告が長期間打たれている所を見ると、割に合うだけの宣伝効果もあるのだろう。新たな市場を開拓した両者の努力には、心から敬意を表したい。(本当です❗️)

一方、購読者にとってはどうか。少なくとも私は、こんな広告を毎朝見せられるのは嫌だ。多くの若者(私は現在23歳)も同じ気持ちだろう。どうして高いカネを払っているのに、こんな広告を読まなければならないのか?本当にうんざりする。(新聞の未来について、一応真面目に論じているので「嫌なら読むな」は無しね。それに私の場合、読みたくなても強制的に料金を徴収される立場にいるので、読まなければ勿体無いという個人的な事情もある。サンクコストと考えるべきかもしれないが…)まあ、尿漏れパットも禁煙パイポも、サラ金などと違ってそれ自体に悪質性は無さそうなのは救いだが、それでも、この広告からは疎外感のような物を感じる。「お前はこの商品を買うべき人間ではない」と宣告されている気分になる、と言えば、少し大げさかもしれないが。