悪夢のうんこ投げ競争システム

「うんこ投げコンテストの優勝者は、うんこを一番遠くへ飛ばした人ではなく、一番手を汚さなかった人である」という言葉がある。小説家のスティーブン・キング氏が言ったらしいが、中々面白い例えだ。この話の意味するところは明らかで、バカバカしい競争には参加しないのが一番ましだということだが、現実には、この競技は人気種目で、今日もたくさんの人が、少しでもうんこを遠くに飛ばそうと、ときには命懸けで挑戦している。くれぐれも、体には気をつけて欲しい。

新聞業界にも、実に多種多様なうんこ投げ競技があり、盛んに行われている。最も参加者が多いのは、「サツ回り」という競技だろう。ご存じない方の為に説明すると、サツ回りとは、担当する警察官のもとに、昼夜を問わずしつこく通って、彼らの捜査情報のおこぼれを得ようとする行為である。新聞記者は、記者人生の最初に、大体これをやらされる。(幸か不幸か、私は経験しなかった。そこにすら辿り着く前に、脱落したのだ。ああ情けない。)ひどい場合は、一生やらされることもある。

この競技は実に過酷で、毎日毎日、ライバルたちとの容赦のない競争にさらされる。もし、あなたのライバルが、貴方よりも良い記録をだせば、貴方はたちまちデスクから呼び出され、耐え難い言葉の暴力を受ける。「言葉」がつかないことも、結構ある。逆に、素晴らしい記録を出したとしても、社外の人は誰も貴方を褒めないし、会社の利益も増えない。3日もすれば新たなゲームが始まって、容赦なく追い立てられる。アスリートと違っって、適度な休養をとることも出来ない。なんでこんなに熱心なのか?それは、新聞記者が、特別にうんこ好きだからではなく(そういう人も、中にはいるかもしれない) この競技に、マジで生活がかかっているからである。

通常、うんこ投げコンテストに賞金はない。選手がうんこを投げる姿に、わざわざ金を払おうとする観客はいないので、それも仕方のないところだ。彼らの多くは、純粋に名誉の為に戦っているが、新聞記者は違う。うんこ投げの勝ち負けで、将来のほとんどが決まるのである。新聞社は、うんこ投げ競技の数少ないスポンサーとして、優秀な競技者に高額な収入を支給し、競技へのモチベーションを(無駄に)引き上げている。原資はもちろん、読者からの購読料と広告収入だ。新聞の危機が叫ばれ続けて久しい中、いい加減、スポンサーを降りるべきだと思うのだが、そんな気配はまるでない。

これは、本当に理解に苦しむ。相変わらず、うんこ投げを頑張った人だけが、高い地位に着けるシステムが維持されている。この競技は、無益どころか有害であり、競技中の殉職者が後を絶たない悪夢のシステムである。少なくとも私は、うんこを投げながら死にたくはない。もうそろそろ、やめるべきではないか。

ヤバい経済学 [増補改訂版]

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