落ちこぼれた若者が「希望は戦争」を読んで考えたこと

新年向きの話題ではないが、赤木智弘さんの論文『31歳フリーター    希望は、戦争』を読んで以来、ずっと考え続けていたことをこの機会に述べておこう。最初に断っておくと、私は彼の問題提起に関して、現時点でも自信を持って話せるような明確な結論を得ていない。従って、彼の意見が正しいとか間違ってるとか断定するつもりは全く無い。この文書を書く主な目的は、自分自身の思考整理である。私はこの問題に関して、これからも悩み続けるのだろうし、読者の皆様にも悩み続けてほしいと思う。

1.「希望は、戦争」の背景

赤木さんの論文「希望は、戦争」が、朝日新聞社がかつて発行していた論壇誌『論座』(2008年休刊)に掲載されたのは、2006年暮れのことだった。(wikiで確認したら07年1月号だった)当時高校生だった私は、リアルタイムでこの文書を読んだ、恐らく数少ない未成年者の一人だったと思う。赤木論文は、発表されるとたちまち大きな話題になった。私見だが、一時期の論壇は間違いなく、この論文が席巻していたほどであった。

論文全体がネットに上がっているので、貼っておこう。まだの方はとりあえず読んで欲しい。

http://t-job.vis.ne.jp/base/maruyama.html

この論文が、大きな反響を呼んだ背景として、「フリーター自身が主体となって、論文という形で世間にモノ申した」という点が、まずあげられるだろう。今でもそうだが、彼が声をあげた当時、論文というのは一部の特別な人たちのためにあると思われていた。論文とは、研究者などの数少ない専門の知的トレーニングを受けた人々が、学術的な知識に基づいて書くものであり、そこに登場するフリーターは、あくまで材料に過ぎなかった。学者や評論家などの比較的恵まれた立場の人々に、蔑まれたり憐れまれたりする役回りで登場するのが関の山であった。有閑階級の暇潰しのオモチャにされていた側面があると表現しても、決して被害妄想とは言えまい。この状況に対して、ある程度敏感なフリーターならば、相当な屈辱を感じていたはずだ。

2.論文の持つ意外性と凶暴性

沈黙するフリーター。モノ言わぬはずの彼らの一人が、突然、世間に対して自己主張を始めたのだから、意外性は大きかった。しかもその主張たるや「希望は、戦争」という、(高齢者ほど強く持つ)伝統的な日本人の価値観を、完全に逆撫でするものであった。物言わぬはずの赤ん坊が、ある日突然起き出して、凶暴な言葉を次々と叫び出すようなものだ。これで周囲が混乱しないはずがない。しかも始末の悪いことにはこの赤ん坊、赤ん坊の癖に挑発も実に上手いのである。

論文の中で赤木は、弱者の味方を気取る「リベラル知識人」たちが、如何に偽善に満ちた存在であり、如何に社会にとって有害な存在であるのかを淡々と説明していく。乾いた文体もさることながら、自らの置かれた不幸な立場について繰り返し記述しながら、主張を展開しているのがまた巧い。前述の通り、この論文が掲載された雑誌には「リベラル知識人」たちの反論も後に掲載されるのだが、赤木がこの戦略を用いた時点で勝負ありである。たとえ彼らが如何に説得力を持つ反論をしたとしても、実は、赤木の議論に対しての勝ち目は全く無い。高学歴のリベラル知識人が何人束になっても、たった一人のフリーターに対しては、最初から敗北が決定しているのである。

次回に続く。


http://hikokumin1.hatenablog.com/entry/2015/01/02/082116   「希望は戦争」を読んで考えた2

下の本は、赤木さん始めての著書。デビュー作『希望は、戦争』とリベラル知識人への再反論『結局、自己責任ですか』の2本の論文が載っています。この論文が書かれるに至った事情や論文発表の後日談、赤木さん自身の生い立ちにも簡単に触れられており、結構お勧めです。ただし、論文同様かなりの毒を含んでいる本なので、読み始める際のコンディションには、少しだけ注意が必要かもしれません。

若者を見殺しにする国 (朝日文庫)

若者を見殺しにする国 (朝日文庫)






強いニッポン?

子どもに対して「強い子になれよ」などと励ます時、それは決してイジメやカツアゲをする子どもに育つことを期待して言っているわけでは無い。(当たり前だ)「強い」という言葉が何を指すかは、人によって優しさだったりタフさだったり様々だろうが、物理的な腕力の強さそのものを挙げる人は、まずいないだろう。

ところで、愛国者を自称する人々は好んで「強い日本」というフレーズをよく使う。引退した石原慎太郎氏などは、これに加えて「他国に舐められない日本」という表現をよく使った。彼らが使う「強い」というキーワードのベクトルは、明らかにイジメやカツアゲの方向を向いていることに注意しなければいけない。読者の皆様は、そのような「強い」社会に住みたいだろうか?そもそも、国家の要人が「舐められない」なんて言葉を多用している国が、世界の尊敬を集めることなど果たしてできるだろうか?年の終わりについ、そんなことを考えてしまった。

下は全く関係ない日本ハムファイターズの本。弱小だったファイターズを、パリーグ屈指の強豪チームに成長させた立役者が強くなった要因について語っています。野球そのものではなく、主にスポーツのビジネス面について書かれた本ですが、結構面白いです。

監督・選手が変わってもなぜ強い? 北海道日本ハムファイターズのチーム戦略 (光文社新書)

監督・選手が変わってもなぜ強い? 北海道日本ハムファイターズのチーム戦略 (光文社新書)

広告から見る新聞業界2

若者が新聞に感じる疎外感は、妄想ではない。現実に、新聞という媒体にとって、若年層はお呼びではないのである。読者の圧倒的大多数は高齢者で、紙面も広告も、専ら彼らに向けて作られている。「尿漏れパット」は、その象徴だ。本日(12月30日)付けの北海道新聞に、興味深いデータが書かれていた。2014年に、同新聞の投書欄に寄せられた年代別の人数が載っていたのだが、1番多かったのは70代であった。60代と80代がそれに続く。30、40代の働き盛りはずっと少なく、世の中に訴えたいことが多いはずの若者はさらに低い。「新聞って、オールドメディアなんだな」 帰省先でもそう痛感させられ、憂鬱になった。

もっとも、完全に老人向けのメディアになるならば、それはそれで構わない。超高齢社会では、商売相手が年寄りのみでも上手くやりさえすれば、事業は十分に成り立つ。リタイヤ世代を相手にして、果たしてジャーナリズムの使命が果たせるのかは疑問だが、それはまた別の話だ。新聞社自身、若者の取り込みを口では叫びつつも、高齢者のみをターゲットにしている節がある。本音ベースでは、若者を切り捨てているのだろう。だとすれば、若者が新聞を読もうとするのが、そもそも間違っているのかもしれない。窓際族ではあるまいに、既に捨てられていることも気づかずに、必死でしがみつくのは滑稽だ。(カネまで払って❗️)若者は若者らしくネットでもしていればいい。新聞は、もっと年をとってから。それこそ尿漏れが気になる年齢になってから、読み始めれば良い。「新聞は65歳になってから」とかキャッチフレーズをつくれば面白いかもしれない。


…妄想が過ぎたので修正を図ろう。もちろん、先日のエントリで述べているように、上記の状況は実現出来ない。特定の年齢層(「70歳以上」とか)では無く、特定の世代(「団塊の世代」とか)しか読んでいないのが新聞なのだから、今ネットしかやっていない若者が、歳をとっても新聞を読み始めることは、まずない。かくして新聞はますます、高齢者相手にシフトした紙面作りになっていく。尿漏れパットの次にでてくる広告は、墓石か?格安の葬式会社か?ひょっとすると、あちらの世界の処世術を書いたマニュアル本だろうか?興味は尽きない。

投げやりなエントリになってしまった。本当は、新聞業界が未来に向けて大きく発展していくような内容にしたかったのだが、残念ながら何も思いつかなかった。やはり新聞は、ゆっくりと安楽死するしか無いのかもしれない。

広告から見る新聞業界

概要

現在、日本で発行されている(スポーツ紙や夕刊紙を除く)新聞の大部分は、自らをクオリティーペーパーと名乗っています。特に全国紙は(産経を含めた❗️)全ての会社が、自らを高級紙と自称して憚らず、見上げたことに、しばしば紙面の中でそのような趣旨の宣言を行っています。彼らの自己評価が正しいかどうかは、読者の判断に委ねます。今回のエントリは「こと広告に限って言えば」クオリティを名乗れるレベルには無いんじゃないのか、という趣旨の話です。

以下本文

元新聞記者らしく(?)朝は必ず新聞を読む。テレビ欄をザッと見て、一面をチェックし、めぼしいニュースがなければ次のページへ。紙面を捲るたび、寝不足気味のぼけた頭には何よりもまず、広告の写真が飛び込んでくる。画は活字よりも強い。自分を含めた活字関係者にとっては、不都合な真実。なるべく知りたくはない現実を、毎朝、こうして確実に知らされる。些か気が滅入るが、現状認識は最も大切なことだから、それ自体は悪いことではない。

問題はその中身だ。以下は、そんな紙面によく登場する広告である。 禁煙パイポに尿漏れパット、ニオイ消臭ノンノ……。もちろん、これらの業者が悪いわけではない。彼らは誠実にビジネスをやっている。新聞の広告局もそれは同じで、彼らもまた、必死に努力して上の広告を集めているだけだ。広告が長期間打たれている所を見ると、割に合うだけの宣伝効果もあるのだろう。新たな市場を開拓した両者の努力には、心から敬意を表したい。(本当です❗️)

一方、購読者にとってはどうか。少なくとも私は、こんな広告を毎朝見せられるのは嫌だ。多くの若者(私は現在23歳)も同じ気持ちだろう。どうして高いカネを払っているのに、こんな広告を読まなければならないのか?本当にうんざりする。(新聞の未来について、一応真面目に論じているので「嫌なら読むな」は無しね。それに私の場合、読みたくなても強制的に料金を徴収される立場にいるので、読まなければ勿体無いという個人的な事情もある。サンクコストと考えるべきかもしれないが…)まあ、尿漏れパットも禁煙パイポも、サラ金などと違ってそれ自体に悪質性は無さそうなのは救いだが、それでも、この広告からは疎外感のような物を感じる。「お前はこの商品を買うべき人間ではない」と宣告されている気分になる、と言えば、少し大げさかもしれないが。


「娯楽差別大国」ニッポン


生活保護の住宅扶助引き下げへ   厚労省が方針 朝日新聞デジタル

厚労省は、生活保護受給者に対する住宅扶助を引き下げる方針を決めたようだ。詳しくは

http://www.asahi.com/sp/articles/ASGDV5GMYGDVUTFL004.html  

を読んでいただきたいが、何とも滅茶苦茶な理屈をもってきたものだ。「現在の住宅扶助の上限でも、劣悪な住宅が存在している」ことが、どうして扶助を引き下げる理由になるのか。そんなことをしたら、もっと劣悪な住宅にしか住めなくなるのは自明ではないか。正直言って、この文章を最初に読んだとき、書いてある内容が信じられなかった。自分が読み間違えているのだろうと思い、何度も文章を読み返した。しかし、間違いではなかった。

このニュースからが正しければ、間違いなく厚労省は狂っている。この役所には「受給者の気持ちに立って考える」という発想は皆無で、彼らにとって国民は、数字合わせのための道具に過ぎないのだろう。このような省庁に命と健康を預けなければいけない国民は、実に不幸である。

それにしても、どうしてこんなデタラメな政策がまかり通るのだろうか。厚労省がおかしいのは事実としても、国民の反応は気に成らないのだろうか❓ここで、不都合な真実がでてくる。彼らの無慈悲な政策は、実はサイレントマジョリティーから支持されているのではないか❓つまり、生活保護受給者に対する不当な仕打ちは、国民全体の娯楽となっているのではないかという疑問が浮かぶ。

差別を娯楽に使っている例としては、在特会などが行っている「ヘイトスピーチ」が知られている。特定の集団を見下し、差別するという点では、生活保護バッシングもヘイトスピーチも変わらない。だが、生活保護バッシングとヘイトスピーチでは、決定的な違いがある。

ヘイトスピーチは、「敷居の高い」差別である。この「娯楽」に参加するためには、道徳的に劣位に立たされるという大きなコストを払わなければならない。このようなコストを負担できるのは、在特会元会長の桜井誠氏のような所謂「無敵の人」位しかいない。多くの人が参加できないという点で、この娯楽には、大きな欠点があるのである。

この「欠点」を克服したのが、生活保護バッシングである。この娯楽は、ヘイトスピーチに比べて、参加への敷居を著しく下げることに成功している。何しろ、いくら差別しても、道徳的に劣位に立つことはない。それどころか、生活保護受給者という「怠け者」に対して、正しい生き方を押し付ける快感も得られるのである。参加しない手はないではないか❗️

関東大震災が起きたとき、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」というデマを信じて朝鮮人を虐殺したのは、ヘイトスピーカーが好んで使う「普通の日本人」であった。彼らは、正義の名の下に虐殺を実行した。

今、生活保護受給者をモンスターに仕立て上げ、敵意を煽るような言論は、インターネット上に溢れている。もしこれが、国民全体の認識となり、彼らが「国民の敵」に認定されたら…

90年前と同じことが起こらない保証は、どこにもないのである。

ネットと愛国 在特会の「闇」を追いかけて (g2book)

ネットと愛国 在特会の「闇」を追いかけて (g2book)


有馬記念回顧 史上最強牝馬、暮れの中山に誕生す

第59回有馬記念は、4番人気の5歳牝馬ジェンティルドンナが直線半ばで先頭に立つとそのまま後続を振り切り、優勝した。同馬はこれでGⅠ7勝目。1馬身差の2着に、内から伸びた3歳馬トゥザワールド。1番人気のゴールドシップは3着に敗れ、以下ジャスタウェイエピファネイアと続いた。
暮れの中山に、文句無しの史上最強牝馬が誕生した。優勝したのは、有馬記念を最後に引退するジェンティルドンナ。私は、この馬は既にピークを過ぎたと考えており、1円の馬券も買わなかった。不明を恥じるしかない。騎手が上手く乗ったとはいえ、堂々と押し切っての完勝には、脱帽するしかあるまい。この勝利で、名実ともに歴史の馬になった。

エピファネイアが先行し、ジャスタウェイが後方待機という展開自体は、予想通りだったが、予想は大外れに終わった。無印のワンツーで決まったのだから、言い訳のしようのもない。敗因は何か?


本命に挙げたエピファネイアは、やや折り合いを欠き、理想よりも前目の位置取りになった。ただ、レース展開そのものは、有利だったと思う。4コーナーでは夢を見たが、最後に足が止まった。この馬がすると思っていた競馬を、勝ち馬がしてしまった。1戦で見限るのは早計だが、天下を取るまでの力は無いのかもしれない。対抗ジャスタウェイは、負け惜しみだが、1番強い競馬をしたと思う。直線の伸びは力強かったが、中山の短い直線では届かない。位置取りと仕掛けの遅れが悔やまれるが、それを承知の上での対抗視なので仕方が無い。結果自体は残念だが、馬の評価を落とすレースでは決してなかった。

今年の競馬も終わり、何頭もの名馬が、ターフを去った。来年の競馬界は、果たしてどの馬が引っ張っていくのだろうか?

有馬記念展望〜エピファネイア連勝なるか

注意  このエントリには、競馬予想会社の広告が貼られています(12月28日現在は、『今秋「G1」10戦10勝の絶対的信頼』という広告)言うまでも無く、これらは全てインチキです。絶対に引っ掛からないようにしましょう。

今年も残すところ数日となった。私個人としては、就職して早々に挫折した最悪の1年だったが、最後くらいは気持ち良く終わりたい。1年の最後を飾るのは、もちろん有馬記念の予想である。

今年の有馬記念は、5歳の有力馬が多い。G1馬だけでも、現時点で1番人気のゴールドシップを始め、ヴィルシーナフェノーメノジェンティルドンナジャスタウェイの5頭が出走する。ヴィルシーナ以外の4頭は、上位人気に支持されているが、過去のデータでは、このレースでの5歳馬の成績は良くない。過去20年で、5歳馬が勝利したのは、09年ドリームジャーニーと13年オルフェーヴルの2頭しかいない。

例外の2頭は、いずれも間隔を開けて臨んでいた。前者は天皇賞秋から、後者は凱旋門賞から、いずれもジャパンカップをパスして有馬記念に出走した。逆に、天皇賞秋、ジャパンカップを連戦して臨んだ5歳馬の成績は悲惨だ。テイエムオペラオーゼンノロブロイブエナビスタなど、前走まで抜群の安定感を誇っていた名馬たちが、ラストランでは尽く馬群に沈んでいる。ピークを過ぎた5歳馬には、秋の3連戦は耐えられないのだろう。従って、ジェンティルドンナフェノーメノの2頭は捨てる。ヴィルシーナも、能力的には足りないと見る。

2年前の覇者で、現在1番人気のゴールドシップはどうか。凱旋門賞では見せ場すら無く惨敗したが、この馬は元々、非常にムラが大きな馬であり、明らかに展開が向かなかった前走は度外視できる。また、中山2500mに対する適性は、昨年と一昨年の結果から保証済みだ。急激な衰えがない限り、惨敗はないと思われる。ただ、一昨年は1着、昨年は3着と、成績的には下降している。宝塚記念こそ連覇したものの大きな上積みがない今年も、頭まではどうか。良くて2、3着までではないか。1番人気を背負っていることも、消極的な材料だ。印は△とする。

これが引退レースとなるジャスタウェイは、文句無く世界のトップホースであり、実力的には十分勝つ資格がある。ジャパンカップを挟んでいるのはマイナスだが、天皇賞秋を使っていない分ローテーションに余裕がある。また、王道路線を歩み出したのは4歳秋からなので、5歳馬の割に消耗は少ない。帰国初戦のジャパンカップで2着に入っており、海外遠征馬にありがちな調子落ちも見られない。ジャパンカップで引退する予定を、わざわざ延長して臨むように、陣営のモチベーションも高い。引退の花道を飾っても、全く不思議ではない。

ただし、不安材料もある。この馬が勝ったG1、天皇賞秋・ドバイDF安田記念は、いずれも直線の長いコースであることだ。直線の短い中山では、鋭く伸びても差し届かない可能性がある。最後の末脚に賭けるこの馬のレーススタイルは、明らかに有馬記念向きではないし、鞍上の福永騎手は、これまでのレース振りを一変させて、積極的にいくタイプではない。従って、勝つ可能性はあるものの、本命には推せない。印は◯とする。

同じく引退レースのトーセンラーはどうか。余裕のあるローテーションを歩んできており、6歳馬でも大きな衰えは見られない。それでも、成績的には緩やかな下降線であり、今回は、得意の京都コースでもない。実績もマイルG1一勝だけで、メンバー中上位とはいえず、とても本命にはできない。ただ、毎回末脚はしっかりしており、1番枠を活かして上手く内に潜り込めば、馬券圏内には流れ込む可能性はある。印は良くて△までか。

ワンアンドオンリートゥザワールドの3歳勢はどうか。有馬記念は3歳馬が強いレースだが、今回は分が悪いと見る。前者は、秋4戦目と使い詰めている上、菊花賞9着、ジャパンカップ7着と不審に陥っており、後者は、尻すぼみの成績から早熟馬の可能性が高い。何れも、現在のオッズでは買えない。共に無印とする。

私の本命は、エピファネイアだ。前走は、スミヨンが上手く乗ったとはいえ、実に強い勝ち方だった。川田騎手への乗り替わりは減点材料だが、過去のレース振りから見ると、操作性の高い馬であるから、有馬記念でも、不利な展開にはならないはずだ。馬自身も、4歳秋と本格化の時期を迎えており、ジャパンカップに続く連覇の可能性は高い。日本競馬の新たな主役に相応しい、素晴らしいレースを期待したい。

ラストインパクトサトノノブレスの上がり馬2頭は、有馬記念でも通用する実力の持ち主だ。共にディープインパクト産駒で、血統的な裏付けもある。是非とも押さえておきたい2頭ではあるのだが、2頭とも押さえると、トリガミになる可能性があるので、出来れば絞りたいところだ。どちらにするか迷うところだが、前走の1馬身半差を尊重して、ラストインパクトを選びたい。大本命不在の今回、頭まであり得ると考え、▲を打ちたい。

その他の馬では、デムーロに乗り替わるラキシスがいかにも不気味だが、今回は涙を飲んで見送る。突っ込んで来たら、流石にデムーロに脱帽するしかない。

予想をまとめると

となる。△トーセンラーは、サトノノブレスラキシスに変えてもいいかも知れない。馬券戦略としては、馬連馬単を▲以上の馬で絞って買うか、逆に◎◯から、上で挙げた穴馬を加えてワイドをボックスで買うか、思案している。いずれにしても、最後くらいは気持ち良く当てたいものだ。それでは皆様、GOOD  LUCK